――THE NINGLERSの曲作りのあり方は、ある意味、シンガー・ソン グライター的ともいえます。原案を持ち込むのも、そこに歌詞を載 せるのもZETSUさんであるわけで。


ZETSU:そうですね。最初はとにかくリフから作るんです。そ の次がメロ。そして最後に歌詞を当て嵌める。もちろん家では大き な音は出せないから、エレキを繋がずにペンペンって音で弾きなが ら(笑)。俺、これは初めて言うことなんだけど、意外とその段階 ではバンド・サウンドというのを意識してなくて。このリフやった ら絶対うまくいく、という感覚だけでやってるんです。それをバー ッと4人で合わせてみると、「ああやっぱりうまくいったな」 ということになる。ただそれだけで、具体的にはイメージできてな いんです。


――バンドのキャスティングを意識しながら作っていく、というわ けでもないんですね?


ZETSU:うん。むしろたまたま噛み合ってるというか。このリ フにこのメロでこの歌詞なら絶対うまくいくな、と思えたものだけ 持っていくんです。当然、それがうまくいかないこともあるわけで すけど(笑)。


――ちょっとこれはバンドっぽくねえな、みたいな曲が来ることも あるわけですか?

SHINJI:それはないですね、少なくとも最近は。昔はありま したよ。ちょっとなんか、弾き語りっぽいニュアンスの曲だとか。  


YOJIRO:最近はもう、持ってくる前にZETSUさんのなか にあるんじゃないですかね、「こういうの持っていくと、こいつら きっと乗ってこないだろうな」みたいなのが(笑)。


SHINJI:さすがにもう、十何年やってるんで(笑)。


YOJIRO:俺たちが気に入りそうな曲を持ってくる、みたいな ところもあるように思う。17年前、違うメンバーでやってた頃は 、ZETSUさんが1人でやってた当時の曲のストックをやってた わけなんですけど、その当時の曲はもう、まったくライヴでもやっ てないですからね。


ZETSU:うん。1曲も残してない。


YOJIRO:やっぱりアレンジがうまくいかなかったというか。


ZETSU:なんか、どうしてもソロっぽくなってしまうんでね。

YOJIRO:当時のドラムと俺との3人編成だったわけですけど 、そこで、いい水準にまで持っていけなかったんですよね。で、俺 たちでも料理できるスタイルを模索していくうちに、どんどんシン プルなロックンロールになってきて。


ZETSU:要するにTHE NINGLERSを始める前は“1人バンド”みたいな感じだった んですよ。とりあえず弾き語りではあるんだけど、ビートが強めと いうかパーカッシヴな感じ。それが俺個人のジャンルみたいになっ ていたけど、そこで完結してたというか、バンドでやるべきものじ ゃなかったんだと思う。多分あのスタイルは、俺1人でやってたか ら面白かったんじゃないかな。


YOJIRO:メンバー選びを間違ったんですよ、多分(笑)。も っとレベルの高い顔ぶれが集まってたら、そのままの方向性でもう まくいってたのかもしれない。そこについては、なんか申し訳なか ったなという気持ちもあって。今の自分たちの音については、それ こそAC/DCとかそういう名前が例えに出てきますけど、当初は べつに、そういうバンドを組むぞって言いながら組んだわけではな かったんです。結局、メンバーのチョイスゆえにこういう音になっ たというか。


――つまり、YOJIROさんのベースがうるさかったから? 


YOJIRO:ははは! 


ZETSU:それもあるかな(笑)。ちょっと創成期のことから喋 ってみていいですか、思い出しながら。最初に俺、「バンドやりて えな」と思ったのは、単純に退屈だったからだったんです。1人で 活動してた頃は弾き語りで、いつも他はバンドばかりというなかに 混ざってライヴをやってたんですよ。そんななか、やっぱ1人って 寂しいじゃないですか(笑)。そこで俺、「なんかもっとガーッと やりたいから、バンドやるわ」とYOJIROに言って。当時、 彼は他のバンドに参加してたんだけども、俺は彼とやりたかったか ら「ベース弾いてよ」って言ったら「ヘルプならいいよ」と言って くれて。


YOJIRO:ち、ちょっと待って。俺、ヘルプやるなんて言った っけ?


ZETSU:間違いない。俺はスゲえハッキリ憶えてる。そしたら 、その3日後ぐらいに「あっちのバンド辞めたから」って言ってき て(笑)。俺も俺で、YOJIROが一緒にやってくれると言って くれたことで火が付いたところがあったんですよ。で、ドラムを探 しながらこのバンドを始めたわけです。当初は俺のそれ以前の曲と かをやっていたけど、次第にちょいちょいAC/DCっぽい曲が顔 を出してくるようになって……。

YOJIRO:昔から好きだったんだよね?


ZETZU:もちろん。前のアルバムに入ってる“DEAD CITY ROCK”なんかは、自分でも「これはAC/DCだな」と思いな がら当時作った曲で。で、ある時、郡山のBLUEVっていうバン ドとライヴで一緒になって、そこのメンバーから「君たち、バッド ・ボーイズだね」って言われて「あ、そうかも」と思ったんですよ (笑)。YOJIROの風体なんか完璧にそうだし、俺もそこでY OJIRO寄りにどんどん発想を転換していって。その結果、今み たいなスタイルになって、東京でいえばDRUNK FUXとかともさかんにライヴをやるようになって……それで増田 さんとも出会ったわけですよね。


――そして僕はこのバンドをすぐさま「仙台のAC/DC」と呼ぶ ようになった(笑)。


YOJIRO:もうあの頃は今のスタイルでしたもんね。そもそも 結成以前、ZETSUさんは“友達の友達”だったんですね。で、 「弾き語りじゃなくてバンドでやりてえ」って誘われたんだけど、 その時はあくまで「これまで弾き語りでやってきた曲を、バンドで やりてえんだ」という感じで。ただ、どっちかというとダウナーな 曲が多かったんですよね。手触り的にはグランジ寄りというか、そ っちに近かった。MOTLEY CRUEやPOISONがどうの、という感じでは全然なくて。


ZETSU:それこそ当時の俺は、ニール・ヤングとかに傾倒して たから。


YOJIRO:そんな感じで始まったんですけど、当初はどうやら ZETSUさんのイメージ通りにではできてなかったし、自分でも どうしたらいいかわかんないし、客にはまったく受けないし(笑) 。ただ、徐々に他のバンドとの付き合いだとか、そういったものか らも触発されながら方向転換があって、結果的にこうなってきたと いう感じで。その間、ドラムが何回も変わってきたのちにSHIN JIが加入して……そこで当然のように「やっぱりギターがもう1 人いたほうがいいでしょ?」という話にはなったんだけど、なかな かいい人材がいないわけですよ、地元界隈には。友達のギタリスト には魅力的なやつもいたけど、一緒にやるとなると話はまた違って くるし。

――一緒にやりたいと思うような誰かは、すでに抜けられないよう なバンドで活動していたりするわけで。

YOJIRO:そうなんですよね。実際、SHOWRINGにはず っと目をつけてたんです。ただ、彼は彼で当時のバンドを結構気合 い入れてやってたし、掛け持ちという風潮も当時の仙台にはあまり なかったし。彼のバンドとはすごく仲良くて、対バンをやったりも してたけど、そこで「こっちで弾いてよ」とはなかなか言えなかっ た。そんな折に、そのバンドが解散するって話になって。「ああそ う、残念だねえ」と口では言いつつ「やっと時が来たか!」と思っ たわけです(笑)。 


SHOWRING:俺自身、ずっとTHE NINGLERSのファンで、毎回ライヴにも遊びに行ったり、呑 みに連れてってもらったりして。要するに兄貴的に慕っていて、ず っとくっついてたんですよ。バンド同士も仲良かったし。で、解散 するんですってことを伝えたら、ある日、YOJIROさんから電 話がかかってきて、いきなり家に遊びに来たんです。おすすめのD VDとか、いろいろ紙袋に詰めて持って。で、いろいろ話をしてる なかで、「今度スタジオに遊びに行っていいですか?」って尋ねた ら、俺の言葉のチョイスが間違ってたみたいで「遊びに来るんじゃ ねえよ。俺たちは遊びではやってねえ!」みたいなこと言われて( 笑)。


YOJIRO:言ってねえよ、そんなこと。


SHOWRIN:いや、それだけはハッキリ憶えてる。間違いない 。


YOJIRO:いやー、なんか俺カッコ悪いなあ。


SHINJI:どちらにせよ、スゲえ発言(笑)。


YOJIRO:このバンドに入ったのはSHINJIのほうが先な んだけど、付き合い自体は、実はSHOWRINGとのほうが長く て。ドラムが不在だった時に「誰かいないかな〜」とSHOWRI NGに聞いて紹介してもらったのがSHINJIだったんですよ。


SHINJI:SHOWRINGとは、そのひとつ前にやってたバ ンドで一緒だったから。 


――そのバンドではどんな感じのことを?


SHINJI:もろに「最初のバンド」という感じで、ストレート に言ってしまえばSIAM SHADEのような感じを目指してましたね。


YOJIRO:まだ十代の頃でしょ? 


SHUNJI:うん、そうそう。

――純情な感情でバンドをやっていた、と?


SHOWRING:ははは!


SHINJI:一応、オリジナルをやってはいたんですけどね。で 、その頃に実はTHE NINGLERSと対バンをしたことがあって。後からわかったこ となんですけど。


YOJIRO:だから俺は憶えてないんですけどね(笑)。


――そうやって毛色もキャリアも違うバンド同士が一緒にやったこ とがあったという事実自体が、仙台のシーンがあまり大きくないこ とをうかがわせます。


YOJIRO:当時の仙台には、シーンもくそもなかったですから 。仙台のパンク、ハードコアというのは昔からあったけども、それ 以外は全部まとめて〈仙台のバンド〉というひと括りで。


SHOWRING:東京みたいにシーンが大きくないし、ジャンル とか地域で分かれてるわけでもないし。 


YOJIRO:だから対バンを組むにしても、いろんなバンドとや らざるを得ない。


SHINJI:当時、対バンした時にしても、ちょっとした挨拶程 度にしか接触してなくて。ただ、後になって話してみたら「ああ、 そのイベント、俺たちも出てたよ」みたいな話になって。まあでも 、そのイベントで紹介された時、自分もリアルタイムで聴いてたわ けではないにせよ、MOTLEY CRUEとかGUNS N’ ROSESとか好きだったし、YOJIROさんのベースがすごく 好きだったんです。今も好きだけど。


YOJIRO:いいよ、そんなこと言わなくて(照笑)。


――なんかその照れ隠し気味の発言が、妙に戸城憲夫(THE SLUT BANKS/ex-ZIGGY)先輩っぽいんですけど(笑)。


SHINJI:俺も実はZIGGYが好きで。それもあって、すご く好きなベースだなっていう印象があって。


YOJIRO:しかもSHINJIって、実は大山正篤(ex-Z IGGY)さんの遠縁にあたるんですよ。それを初めて会った時に 言われて、戸城さん好きの俺とは非常にマッチングがいいんじゃな いかな、と思った記憶があります(笑)。


――とにかくこうしてこの4人が揃ったことで、本当の意味でバン ドが出来上がったわけですよね。

YOJIRO:うん。前に手伝ってもらってたドラマーは隣の県に住んでいたんで、練習のたびに俺たちがそっちに行ったりしていて。そういう意味でも、なんかもう、どうにもならないようなところがあったんだけど。

ZETSU:ここ仙台においては多分、これは奇跡的なメンバーだと思う。

YOJIRO:しかもこのメンバーになってからが、いちばん長いですからね。1年も経たないうちに辞めちゃったやつもいたし。そう考えると必然的な出会いだったのかもしれないし、この顔ぶれで落ち着いてるってこと自体が、すごく嬉しいことで。

――実際、このバンドがしっかりタイトに固まった状態が収められているのが今回のアルバム、といえそうですよね。

ZETSU:そうですね。とはいえコンセプト的にも気持ち的にも前作の時からさほど変わってはいないんですよ。なにしろあんまり音楽に多様性を求めてないバンドだし。俺たちはただ単に、THE NINGLERSサウンドってものがやりたいだけなんです。

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all photo by 増田勇一(2017.04.16 仙台フライングサン)

※現在発売中の音楽雑誌「BURRN!」2017年6月号の、増田さんのコラム「MUSIC LIFE」でTHE NINGLERSが紹介されています。こちらも是非ご覧下さい。

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